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2019.4.26

  • 執筆者の写真: みずこしふみ
    みずこしふみ
  • 2019年4月26日
  • 読了時間: 3分

オエカキセンセイという

仕事が大好きです

知恵熱出るほど大好きです


オエカキセンセイになりたい

と夢見たことは

一度もなく

オエカキセンセイになっていました


記録によれば

三歳ではカエルお母さん

その後、クリーミーマミの

紫のふわふわ髪の女の子に憧れて

それからムツゴロウさんに憧れて

お家にいるシュフという仕事なら

動物といれるんじゃないかと

思い込んでシュフになりたくて

(たぶんタイムカプセルにその思いはいれた。)

それから小学校の先生になりたくて

小学校までは勉強楽しかったけど

中学ではじめて勉強は難しいと知って

学校の先生は早々にやめ


それから特に将来のことを

考えることはなかった。

それまでは多分現実のこととは

思ってなかったのね

将来、ではなくて

夢、のような。


高校生になって

どうやら進路というのを

決める年頃らしいと知り

なにがやりたいか、

考えて

それで

絵本描く人になりたい

と思った


今思えば

ずっと通ってた造形教室は

絵が楽しいより

幼なじみと

気の許せる先生と

過ごしてることが大きくて

絵は好きでたまらないわけでも

なかったし

自分はうまいとも思わなかった

家族から見たら

絵ばっか描いてたのかな?私は。

今度聞いてみよう。


とにかく

高校生まで、週1回

造形教室に行ってて

そこで絵の先生(ヒゲ)に

相談というか、話をして

そして決まった進路だった


ヒゲは、絵本だと、この大学の

この科がいいみたい

と調べてくれて

美大受験するなら

ここではなくて

そういうところで

上手い人たちとやるといい

って教えてくれて

それで

ヒゲのところ卒業して

予備校いった。


あ。泣けてきた。


結果的に大学はいかなかったけど、

そこで出会えたぶっ飛んだ友達や

大人も変人のままでいいって

見せてくれた

イカした講師陣たちとの出会いは

とても大きくて

いい選択をできたな

と思う


いい選択を

示してくれたんだな。ヒゲは。


そしてヒゲは死んじゃって

その数年後に

ヒゲの持ってた保育園の造形教室に

行くことになった


姪っ子が生まれてきてくれた時期も

重なってて

こどもってなんて愛おしいんだろうって

初めて知れた

その後で


保育園には

愛おしい人々がたくさんいて


でも最初は本当に必死で

一人一人の違いに

対応する余裕も

気付く余裕もなかった


でも

少しづつ、慣れたり

わかったり、

知識や経験が追いついてきたら

1人1人がくっきりみえて

いとしさはどんどん増して

幸せで


たまたまなったオエカキセンセイは

もっとステキなオエカキセンセイに

なりたくて

オエカキセンセイになってから

オエカキセンセイになりたいって

目指しているような

そんな感じ


ヒゲがどんな先生だったのか

どういう風に教えてくれたかっていうのは

覚えてない

楽しかったなってことしか


ヒゲがどんな思いで

私に向き合ってくれたのか

今思うと

なんだか優しくて

とっても優しくて

泣けてきちゃう


ヒゲが早くに死んじゃったことは

良いか悪いか

どっちでもなく

ただの事実で


でもその大きな事実が

私の人生を

大きく変えたし


その事実を

わたしはいい方向に持っていく

心に決めて


こうして幸せにいきている


そして

ヒゲにもらった愛情を

たくさんの愛しい人たちに

届けるの


命日でもなんでもないけど

ありがとうヒゲ



 
 
 

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