2017.6.16
- みずこしふみ
- 2018年12月31日
- 読了時間: 2分
埼玉自然の博物館にきてます
皮なめしの説明図が秀逸でした
モデルになってるのは
博物館のキャラクター
パレオパラドキシアの
大野原治くんです
こわくなくて
わかりやすい
動物の皮、他のものもみました
骨格もみました
肉を食べ
皮を使い
骨を使う
このペースで
本当は全て使えるとよいのだけど
人間がいっぱいいすぎて
肉を食べて皮をすて
皮を使って肉を捨てる
そんな状況になっているのは
悲しいけど
動物がすきでも
皮を使うことが残酷とか
骨を使うことが残酷とか
肉を食べることが残酷とか
そうは思わない
縄文人のように
全てを活かして
自然と付き合えるといいな
と思う
残酷という言葉をつかうのであれば
直接的なことだけでなく
もっともっと
間接的なところまで
モノの関係を知る必要が
あると思う
残酷の捉え方も
ひとによって違うであろうけど
違うであろうから
あの人は残酷だ
なんて
決めつけたらいけないと思うよ
私は漁師が
猟師が残酷だとは思わない
菜食主義が
残酷じゃないと
思わない
猟師も漁師も菜食主義も
友だちだと思う
私の革の財布の牛が
おいしく食べてもらえてますように
骨が美味しい出汁になってますように
死んだら
スカベンジャーに
食べてもらいたいなぁ
残さず食べてね
ミミズさんに土にしてもらえるのも
憧れるなぁ

Comments